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建築家 久野 啓太郎のブログ

建築家 久野啓太郎のブログ。建築や仕事に限らず、何気ない日々の気になった事などを不定期につづっています。
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nibroll「リアルリアリティ」


0123nibrollnibroll新作公演「リアルリアリティ」を初日に世田谷のシアタートラム観に行った。東京でのニブロール公演は2年半ぶりだそうだ。まだまだ構成など荒削りな部分はあるがとても見応えのある面白い作品だった。これから回を重ねるごとに練り続けられさらに完成度が上がっていくのが楽しみな作品だ。初演を見れてよかった。
今回の新作は、とにかく矢内原美邦によるコンセプトが秀逸だ。
現代社会の漠然とした不安を鋭く指摘したコンセプトとその不安を嗅ぎ付ける彼女の嗅覚に脱帽する。










以下にコンセプトを書き記す

「リアルリアリティ」
身体を省略し拡張する

人はできるだけ動かなくてすむようにテクノロジーを駆使する
それに抗うつもりはない 楽がいい

それでもどこまで省略しようとするのか ふと不安になる

人々の想像は 遥か彼方にある場所や 過去や未来にある時間を
あたかも今ここにあるかのように具現化しようとする

それでも人は遠くでおこっている悲劇を想像することすらできない
そこにある身体を共有することができない

なにもない場所に立ち リアルのない時間を過ごし 言葉のない声を聞き カラダのない人に出会う
死はすぐそこにあり 無限で 確定的で
生きることはいまここにあり 限りがあり 不確定な未来にある

身体がなくてもいい時代を生きる私たちが実感できる身体をさがす

私たちは生きています




オープニングが圧巻だった。暗転から舞台にダンサーが現れ、踊りに注意が向いてるうちに背景の壁面は音もなく動き、舞台の中に領域を形成。ダンサーが壁を叩く瞬間から爆音が劇場に鳴り響き、舞台上に現れた壁面と、床に盒況射含嫂箸留覗が投影され一瞬にして空間が変化する。情報が疾走し、情報としての人は個性を失い生死はっきりしない状態で存在する。そこには感情のないコンピューター音声による独白がミックスされ、現代の状況がリアルに演出される。身体としての肉体はその流れの中で苦悩しながらも危うげに存在する。
次のシーンでは一転ダンスは緩やかでゆっくりとしたものとなり、手足の動きや巧妙にシンクロされた振り付けのダンスがとても美しい。いままでにないニブロールが感じられる。
全体を通して過剰にデジタルで鮮やかな色彩の映像は逆に色味を感じないモノトーンの印象となり、現代社会の風景と重なり合う。それに反し衣装の色は特に印象的で照明の光がすごくキレイに衣装の色を出していた。音楽は延々となり続けるノイズと美しい声楽で構成されている。そこにもデジタルとリアルの対比が意識されている。
後半はまさに喪失と破壊、それに伴う回顧の演出が続く。雑多な物に埋め込まれたリアルな過去のイメージが徐々にデジタルに侵食されてゆく。壁の向こうには家具が高く積んであり、その上から作家らしき人物が身の回りの道具を捨てている。舞台上にリアルな音を立てて物が破壊され、場はフラットになっていく。背景のデジタルを象徴する映像がものすごいスピードでフラットに流れていく。そこに人の心はあるのか。最後には全くなにもない空虚な感じだけを残したエンディングとなった。
今がどういう状況にあり、どういう問題があるか、身体の意義とは何かについて伝え訴えた舞台であった。

テクノロジーの進歩にともなう環境の変化については建築の世界でも大きなテーマのひとつだ。建築で問題になるのは、特に情報機器が発達したことによる人と人との距離感の意味の変化についてだ。人は距離を関係なく会話でき、景色を見て、人の存在を意識することが可能となった。しかしそこに生身の肉体はおろか、時間さえ存在しない。そういった状況の中、建築はどうあるべきかという問題だ。そこで、ひとつの新たな価値観として、時間軸に沿った生身の人間の経験というテーマが見えてくる。そこに建築としてどう形にできるかという課題が見えてくる。